イギリスの運河ではナローボートという船を借りて、誰でも免許なしでクルーズが楽しめる。『英国運河の旅』、『イギリス式極楽水上生活』、『イギリス水辺の旅』の著者が具体的な旅のノウハウを伝授します。


by narrowboat
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日本の岡崎選手が所属するチーム、レスター・シティがプレミアリーグで優勝を果たしました。
このニュースは日本でもかなり取り上げられたので、ほとんどの方がご存じのはずですが、
レスターといえば、2003年、私たちがナローボートで立ち寄った街でもあります。

グランドユニオン運河は言わすと知れた運河の大幹線ですが、
ロンドンから北上すると、ブローンストンBraunstonという街で2つに分岐。
西に向かえばバーミンガムへと続く「本線」になり、
そのままほぼ北上すると、レスター・セクションLeicester Sectionという支線に入ります。

本線のほうはブロード・カナル、
すなわちナローボートが2艘並んで(または1艘分が2つ)入るロックになっているのですけど、
レスター・セクションのほうはナロー・カナル、
1艘分の幅しかありません。

そのため、ボートのすれ違いには時間がかかるのですが、
フォックストン・ロックFoxton Locksなど、
フォトジェニックで名所にもなっているロックがいくつか存在しています。

レスター・セクションを進んでいくと、何やら工場地帯のような風景が現れます。
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街が近づいてくる予感がしますね。
このあたりの連続S字カーブを越えると、
なにやら未来的な建造物が対岸に見えてきました。
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これがレスター・シティのホームスタジアムです。
(現在はスポンサーの名前を採って「キンングパワー・スタジアム」というそうですが、当時はおそらく違ったでしょう)

運河はレスターの街のほぼ中心部を通っていて、
ムーアリング(係留所)も便利な所にあります。
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こういう街中のムーアリングは、バンダリズム(破壊行為)がままあるのが心配ですが、
扉はBWキー(運河の施設を利用できる鍵)でロックされているので、ある程度は安心できます。
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私たちはここで、昼食がてら散歩することにしました。
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街の真ん中には、大きなマーケットが。
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品物も豊富です。
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ロンドンとイングランド北部を結ぶ高速道路の中継点でもあり、
物流事情がよいせいか、魚介類も豊富でした。c0027849_11542421.jpg


レスターは積極的に移民を受け入れている街で、
特にインドなど南アジア系の住民の割合がかなり高く、
おかげでランチはおいしいインド料理で決まりです。
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その一方で「イングランドらしい」街並みも見かけました。
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ナローボートに戻ってみると、
運河とレスターの街のコントラストもなかなかよいことに気が付きます。
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それにしてもレスターの英語の綴り、
Leicester
って、なかなか読めませんよね。

ほかにもグロスターGloucesterなど、
悩ましい「スター」のスペリングがイギリス各地に存在しています。

岡崎選手の活躍のおかげで、
またナローボートでレスターに行ってみたくなりました。
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by narrowboat | 2016-05-23 12:03 | 2003年レスター・リング | Comments(0)
かなり前に品川の物流博物館で購入した「通運丸」のペーパーモデルが、
まだ手を付けられていなかったことを発見し、細々ながら製作を開始。
先日、ようやく完成しました。
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「通運丸」は、1877年(明治10年)に初めて進水した旅客船で、
第一号は東京の両国と千葉の銚子の間に就航、
その後、42号まで生産され、おもに東京と千葉の間を結んでいました。

両国から銚子までのルートは、
隅田川から小名木川、旧中川を横切って荒川に出ます。
荒川を横切るように進むと、今度は船堀川(新川)を使って江戸川へ。

江戸川を北上して、銚子に至る利根川に入るには関宿が分岐点なのですが、
1890年(明治23年)に利根運河が開通すると、大幅なショートカットが可能になりました。

当時は夜行船もあったようで、
利根運河の河岸には船宿が並び、置屋もたいそう繁盛したそうです。

しかし、ほどなく鉄道(現在の総武線)が開通すると、
船の需要は減退して、最終的にはすべて姿を消してしまいます。


話が「通運丸」の歴史になってしましましたが、
今回製作したこのペーパーモデルは、外輪のカバーが2種類用意されていて、
ひとつが「通運丸」、もうひとつが「銚港丸」です。
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「銚港丸」というのは、千葉県の木下(きおろし)をベースにする吉岡家が所有していた船で、
木下~銚子間を往復していたそうです。

船型がまったく同じということは、
おそらく同じ造船所で造られたものなのでしょう。

モデルをなんで「銚港丸」にしたかというと、
単にカバーのデザインがかっこよかったからです(笑)。


それにしてもこのペーパーモデル、
切る部分がやたら細かく、張り合わせも難儀で、
自他ともに不器用を認める私には苦行でした。

なんとか完成まではいったのですけど、
最後の組み立てになって、その外輪カバーのラインがずれていることが判明。
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ここまで行っちゃうともう修正不可能なので、
自らを笑い倒して諦めます。

それにしても、こんな内水航路が明治時代にあって、
東京周辺に「運河時代」が存在していたとは。

もう10年以上前ですが、「通運丸」のルートを小型ボートで旅した記録はこちら
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by narrowboat | 2016-05-07 15:19 | 日本の運河と川 | Comments(0)