「通運丸」改メ「銚港丸」
2016年 05月 07日
まだ手を付けられていなかったことを発見し、細々ながら製作を開始。
先日、ようやく完成しました。
「通運丸」は、1877年(明治10年)に初めて進水した旅客船で、
第一号は東京の両国と千葉の銚子の間に就航、
その後、42号まで生産され、おもに東京と千葉の間を結んでいました。
両国から銚子までのルートは、
隅田川から小名木川、旧中川を横切って荒川に出ます。
荒川を横切るように進むと、今度は船堀川(新川)を使って江戸川へ。
江戸川を北上して、銚子に至る利根川に入るには関宿が分岐点なのですが、
1890年(明治23年)に利根運河が開通すると、大幅なショートカットが可能になりました。
当時は夜行船もあったようで、
利根運河の河岸には船宿が並び、置屋もたいそう繁盛したそうです。
しかし、ほどなく鉄道(現在の総武線)が開通すると、
船の需要は減退して、最終的にはすべて姿を消してしまいます。
話が「通運丸」の歴史になってしましましたが、
今回製作したこのペーパーモデルは、外輪のカバーが2種類用意されていて、
ひとつが「通運丸」、もうひとつが「銚港丸」です。
「銚港丸」というのは、千葉県の木下(きおろし)をベースにする吉岡家が所有していた船で、
木下~銚子間を往復していたそうです。
船型がまったく同じということは、
おそらく同じ造船所で造られたものなのでしょう。
モデルをなんで「銚港丸」にしたかというと、
単にカバーのデザインがかっこよかったからです(笑)。
それにしてもこのペーパーモデル、
切る部分がやたら細かく、張り合わせも難儀で、
自他ともに不器用を認める私には苦行でした。
なんとか完成まではいったのですけど、
最後の組み立てになって、その外輪カバーのラインがずれていることが判明。
ここまで行っちゃうともう修正不可能なので、
自らを笑い倒して諦めます。
それにしても、こんな内水航路が明治時代にあって、
東京周辺に「運河時代」が存在していたとは。
もう10年以上前ですが、「通運丸」のルートを小型ボートで旅した記録はこちら。