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イギリスの運河ではナローボートという船を借りて、誰でも免許なしでクルーズが楽しめる。『英国運河の旅』、『イギリス式極楽水上生活』、『イギリス水辺の旅』の著者が具体的な旅のノウハウを伝授します。


by narrowboat
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日本の川はオランダ人がつくった?

『道と川の近代』
高村直助(編)
山川出版社
4757円+税

日本の川はオランダ人がつくった?_c0027849_1623020.jpg

日本と一番関係が深い国はどこか?
アメリカ? それとも中国?

グローバリゼーションがすすむ現在、こんな質問自体意味をなさいかもしれない。
が、江戸時代まで日本にとってもっとも関係が深かったのはオランダである。

オランダといえば”運河の国”ですよねぇ・・・・・。
でもイギリスに比べてどうなんだろうか?
というのも、オランダで「運河を見た」という人はいても「(個人単位で)ボートに乗った」という人を聞いたことがないからで。

ま、その話を書き出すと脱線→マンション激突、ということになりかねないので、本題。


オランダにおける水路ネットワークは、明治の日本にも聞こえていた。
そこで政府は、オランダ人を技師として招き、日本にも運河網を整備しようと試みる。
その紆余曲折が、本書の中の「内務省の河川政策」(山崎有恒著)に描かれている。

その流れをかいつまむと、日本政府は

まずオランダ風の水路を建設しようとした、
→けど「鉄道のほうがいいぜよ」ってフランスに言われたので、水路はヤメ、
→ところが、やっぱ運河がよさそう、と方針転換、
→最後に、淀川の氾濫で水路計画はオジャン

かなりおおざっぱに書いたが、要するに当時の日本政府は、オランダやラフランス、最後にはイギリスなど諸外国の意見をいろいろ採り入れようとした結果、方針の転換が何度も行われたということだ。

オランダ人の雇い技師としてはデレーケやムルデルが有名だが、彼らと前後して計10名の技師が当時来日しているのだ。
だが、国土のほとんどが低地のオランダと、7割が山地の日本では、誰が考えても地理的条件が異なる。交通ネットワークの担い手が最終的に鉄道になったのは、正解だろう。

しかし当時、あの”1000円札の君”伊藤博文は(←おおっ! 何十年前だっ?)、ものすごい構想を頭に描いていたそうな。

 北上川
   ↓
 北上運河
   ↓
 野蒜築港
   ↓
 東名(とうな)運河
   ↓
 塩釜港
   ↓
 貞山運河
   ↓
 阿武隈川
   ↓
 大隈川
   ↓
 猪苗代疎水
   ↓
 阿賀野川
   ↓
 新潟築港

東北を横断するこの大運河がもし完成していたら、日本にも今頃レンタルボートの運河旅があったかもしれないなぁ・・・・・・。
by narrowboat | 2005-09-14 16:56 | 運河の本、ビデオなど | Comments(0)