イギリスの運河ではナローボートという船を借りて、誰でも免許なしでクルーズが楽しめる。『英国運河の旅』、『イギリス式極楽水上生活』、『イギリス水辺の旅』の著者が具体的な旅のノウハウを伝授します。


by narrowboat
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運河を作った人々:日本の教科書から忘れられた人々

イギリスの運河は、日本の世界史の教科書ではことごとく無視されている。産業革命については何時間もかけて勉強するくせに、出てくるのは蒸気機関のジェームズ・ワットに蒸気機関車のスチーブンソンくらいでおしまい。残念というか、悔しいというか。

運河を造った人の前に、イギリスに運河が初めてできたのはいつか? という話から始めたいのだが、これがそれほど簡単ではない。まず「運河とは何か」という定義だけでも議論が終わっていないのだ。「運河=人工の水路」というのなら、川を改修して船の航行ができるようにしただけでも運河と言えなくないし、ロックの有無を基準にするのなら、川にもロックはたくさんある。

こういった議論もある中で、イギリスにおける初めての運河は1761年に開通したブリッジウォーター運河だというのが今では有力、いや常識になっている。ローマ時代に建設されたというイギリス最古の運河はエクセターにあるし、さらにリバプール近郊にはセントへレンズ運河は1755年にできている。それなのになぜブリッジウォーター運河なのか?

それは、経済性というものにポイントを置くと、イギリスで初めて利益を生んだ水路がブリッジウォーター運河だからだ。ただ土を掘り返したというだけではなく、ちゃんと儲けを出す。経済性を基準に置くと、ブリッジウォーター運河に最古という称号が与えられるのである。

ブリッジウォーター運河は、ブリッジウォーター家の三代目がこの運河を造ったからそう呼ばれている。ブリッジウォーター家はデューク(公爵)という貴族の一員。なんでまた貴族のボンボンが運河造らにゃあかんかったの、と思われそうだが、貴族=優雅な特権階級というのは日本の平安時代のイメージをだぶらせているだけで、貴族とて一市民というのがイギリスの階級制度。だから、自分でビジネスを興しても不思議ではない。

もっともそこは貴族、ブリッジウォーター一家はマンチェスター近郊のワースリーという所に炭鉱ひとつ保有していたのだから、それなりにお金持ちだったはず。だが産業革命でマンチェスターにどんどん工場が建設されるのを見て、自分の炭鉱で出た石炭をマンチェスターにバンバン運べばもっと儲かるはず、と皮算用。そこで三代目が思い出したのが、フランスを旅行した時に見た運河だった。これを自分の炭鉱にも造ろう、ということで早速計画に着手する。

だが貴族のボンに運河を掘る技術も知識もない。そこで見つけてきたのがジェームズ・ブリンドリーというちょっと偏屈な土木技師。ろくに学校にも通っていなかったブリンドリーは文字さえ読めなかったが、奉公に出された土木職人のところで見よう見まねで知識を体得していき、いつのまにか一流の土木技術者になってしまった。

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これはコベントリーにあるブリンドリーの銅像。

ブリッジウォーターとブリンドリーは、二人三脚で運河の建設を進めていった。だがその建設は予想以上に難航し、ブリッジウォーターは自分の家や土地を抵当に入れたり借金をしたりして建設費用を工面したらしい。だが、貴族とはいえ一民間人がこのような大プロジェクトを興すことができるあたり、産業革命の時代の空気というか、イケイケの雰囲気が感じられる。

いよいよ完成したブリッジウォーター運河、50キロにも満たない、今となっては短い運河かもしれないが、これが大当たり。炭鉱から石炭が文字通りピストン輸送されていくのを見て、イギリス中が二匹目、三匹目のドジョウを欲しがり始めた。これが「カナルマニア」、運河狂の時代である。

ブリッジウォーター運河を建設するときには半ばバカにされていたブリンドリーにも、あっちからこっちから声がかかる。「ブリンドリー先生、うちの運河の設計をぜひ」、「なに言ってんだ、先生は私んとこが先だよ!」なんて両腕を引っ張られるような人気だったかどうかは知らないが、運河のエンジニア不足は深刻になっていった。

そんな時、はるかスコットランドの荒野から新たな星がやってきた。それがトーマス・テルフォードである。石工でエンジニアとしてのキャリアをスタートさせたテルフォードは、土地測量士を経て、エレズメア運河の工事総監督に抜擢される。エレズメア運河とは現在のスランゴスレン運河のことで、この運河に架ける2つのアクアダクト、ポントカサステとチャークを設計したことで、その名声は今でも世界中にとどろいている。

後世の評価はさておき、テルフォードもやはりイギリス各地から運河の設計を依頼されているが、特に有名なのはスコットランド北部、ハイランドのカレドニアン運河。大西洋と北海を連結する大運河なのだが、イングランドで名声を得ていたテルフォードも、本当は故郷のスコットランドに帰りたかったらしい。カレドニアン運河は、まさにテルフォードが故郷に錦を飾った一品となった。



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これはカレドニア運河の北海側の出口。

ブリッジウォーター、ブリンドリー、テルフォード。こんな優れたエンジニアたちが教科書に一行も出ていないとは!

だが教科書に載っていなくても、誰もが知っている名前が運河史上にいる。それはジョサイア・ウェッジウッド。ウェッジウッドってあのウェッジウッド? 英国王室御用達の食器メーカーがなんで運河と? まさか食器を運河で運んだとか?

その通りである。イギリス中部のストークで磁器生産を始めたウェッジウッドは、原料や製品の輸送に頭を悩ませていた。特に製品は磁器だから、馬で運んだらガチャンガチャン割れる。デコボコ道を馬で運べばそりゃ何枚も割れるだろうよ。でもこのままじゃまずい、特に王室に納める磁器だけはなんとかしないと、と考えあぐねていたところで運河という新しい交通機関の話を耳にする。これはいい!

ウェッジウッドは早速ブリッジウォーターの協力を取り付け、共同で新しい運河を建設することになる。これが今のトレント&マージー運河で、数ある運河の中でもネットワークの基幹を成す重要な水路である。

ちなみに、あの『進化論』を著したチャールズ・ダーウィンはウェッジウッドの孫にあたる。ダーウィンは、ウェッジウッドが成したその有り余るお金を使って自由に研究をさせてもらっていたそうで、そこからあの大発見が生まれた。

運河あってこそのウェッジウッド、ウェッジウッドあってこそのダーウィン。運河がなかったら人類の祖先は今でもアダムとイブだったかもしれない。




もっと詳しく知りたい方は『英国運河の旅』をどうぞ!

☆発行者 カナルマニアHP
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Commented by Madorena at 2006-01-04 18:40
こんにちは、今年もよろしくお願いいたします。
『運河』が単なる水路じゃなかったことを初めて知りました。啓蒙されます。なるほど、『運ぶ河』ですものね…
ダーウィンってウェッジウッドの孫だったんですか!ストークトンオントレントがさらに興味深くなりそうです。
Commented by narrowboat at 2006-01-06 23:13
Madorena様、あけましておめでとうございます。こちらこそよろしくお願いします。イギリスの運河には、その背後にさまざまなストーリーが隠されているので、調べはじめるとやめられませんね!
by narrowboat | 2005-12-28 17:43 | エッセイ | Comments(2)